宝塚リハビリテーション病院 リハビリテーション研究開発部門長 中谷 知生さん
まさに、「リレー」の実現です。
リレーインタビューをさせていただいた徳山リハビリテーション病院リハ部副部長・広島中央リハビリテーション病院リハ部長の神田勝彦さんよりバトンが渡りました。
神田さんのインタビューはこちら
バトンを受け取ったのは、宝塚リハビリテーション病院の中谷知生さん。
神田さんと中谷さんは大学の同期とのこと。
神田さんからバトンメッセージがこちら☆
「点を創り、結び、面を織りなすことができる人です。」 無いものをクリエイトする創造力、それを現場に適用させる臨床力、たくさんの人を惹きつける影響力があります。 出会った人の頭にキズ(記憶)をつけ、その心にキズナ(信頼)を生むことができるリーダーのため、中谷氏を推薦させていただきます。
*:.。.:*:・’☆。.:*:…:*★:・’゜:*:・’゜*;・’゜★゜’:*:.。。.:*:…:*
◎中谷さんの所属の病院はこちら
医療法人尚和会 宝塚リハビリテーション病院
◎中谷さんのプロフィール
<現職>
医療法人尚和会 宝塚リハビリテーション病院 療法部 リハビリテーション研究開発部門長
<ご経歴>
2003年 吉備国際大学 理学療法学会卒業
2003~2008年 医療法人近森会 近森病院・近森リハビリテーション病院
2008年~ 宝塚リハビリテーション病院
2017年~ 同リハビリテーション研究開発部門長
<資格他ご活動内容>
認定理学療法士(脳卒中/補装具/管理・運営/臨床教育)
一般社団法人 日本神経理学療法学会運営幹事
脳卒中理学療法診療ガイドライン第2版 作成班員
第20回日本神経理学療法学会学術大会 準備委員
臨床歩行分析研究会 評議委員
<開発、ご執筆等>
歩行補助具T-Support開発(2016年川村義肢株式会社より発売)
臨床にいかす表面筋電図 セラピストのための動作分析手法(2020年医学書院 共著)
盲点チェック!脳卒中リハ 装具活用実践レクチャー(2018年メジカルビュー社 分担執筆)
◎中谷さんの所属されている病院のご紹介をお願いします。
私の所属する宝塚リハビリテーション病院は162床の回復期リハビリテーション病床に加え、訪問リハビリテーションおよび通所リハを提供しています。セラピストは希望に応じ急性期・回復期・生活期の各ステージを経験することが可能です。また宝塚リハビリテーション病院を中心に学術活動のサポート体制を整えており,多くの論文執筆、学会発表、セミナー開催などの支援を積極的に行っています。
また、所属の法人医療法人尚和会は宝塚第一病院、宝塚リハビリテーション病院、介護老人保健施設のケアヴィラ宝塚、ケアヴィラ伊丹の4つの事業所を中心に,急性期から生活期までの切れ目のない医療介護サービスを提供している法人です。
◎理学療法士になられた動機、きっかけを教えてください。
PTになったのは28歳で、結構遅かったですね。元々、文系の大学を出たのですが、当時は就職氷河期のど真ん中でした。しかし、折角就職した会社も1年で辞めてしまいました。親にも迷惑をかけましたね。
その会社は宝飾品を売っていたのですが、とにかくその時は何とかたどり着いた就職先だったこともあり、必死でしたし、仕事自体は嫌いではありませんでした。しかし、宝石は贅沢品であり、それ自体なくても生きていけます。営業の仕事をしていく中で、虚しさを感じる瞬間もありました。1年も働いていないので偉そうには言えないのですが、色々と感じることがありましたね。
そこから1年間、浪人して吉備国際大学に入学しました。
その頃、祖母が入院して何回かお見舞いにいく中で、宝飾品を売ることの反対側の仕事があるのだと知りました。これほど人が生きていく上で必要な仕事があるのだと驚きました。
ちょうど、タイミング的にも改めて自分が一生やっていける仕事について考えていた時期でもあったので、今ならやり直せると思い、理学療法士を目指しました。
◎改めて大学に入られた時の気持ちを教えてください。
大学に入り直したのが24歳の時でしたが、同級生の中には似たような年代の学友がいました。そのような中で私は2回目の大学生活を思いっきり楽しみましたね。
実家が兵庫県、そして、大学は岡山だったので一人暮らしをしたことも影響していると思います。よく遊んだのですが、今となっては当時の友人が理学療法士としてあちこちにいるので、キャリアを積むほど彼らとともに新しい研究や講習会の企画で繋がる機会があり、仕事の幅の広がりを感じています。
◎宝塚リハビリテーション病院療法部では、教育面が充実していると伺いました。どのような人材育成の取り組みをされているのでしょうか。
一番力入れているのはキャリアラダーです。
数年前まではなかったのですが、ここ何年かでその必要性が高まってきたので、看護師のラダー作成研修のようなところへ参加して、自分たちで手作りしようということで取り組み始めました。
今後は次のステップとして管理職のラダーを作りたいと思っているところです。
◎ラダーの作成について、その必要性を決める一番のきっかけは何でしたか。
当法人は病院2つと老健2つ、計4つの事業所があります。
新卒で採用したセラピストはまず急性期あるいは回復期病棟でキャリアを始め、そこから希望に応じて異動していくのですが、異動によってキャリアの連続性がリセットされてしまうように感じるスタッフが多いことが悩みでした。受け入れる側も、これまでどのような評価を受けて、どこまでできているのかわからないというジレンマがありまして。
評価する側もされる側もどのように連続性を保てばよいか悩むことが多かったように思います。
しかし、セラピストとしてどのステージで働く際にも共通するものはあるはずという観点から、能力の評価あるいは到達点を確認するうえで何かしらの基準のようなものがあったほうが良いのではないか、そのことでより前向きに異動を捉えることができるのではないかと思ったことが一番のきっかけです。
◎これからラダーを作られる方に対して、アドバイスをお願いします。
私たちが参加したラダーの作成研修は、例えば、新人のラダーであればより新人に近いポジションのスタッフのアイデアを中心に作った方がよいという内容の研修でした。経験年数があるスタッフが作ると、高めの目標設定となりやすくズレが出てきやすいので、新人ラダーは2年目のセラピストに集まってもらって時間をかけて作りました。最終的に管理職も加わって完成させたのですが、あまり押し付けにならず、現場に近いものが作れたのではないかと思っています。
ラダー作成作業に関わってもらったスタッフからも、とても達成感がある作業だったとの感想をもらいました。また、一番反響が大きかったのは指導する側からの感想です。今まで評価をする側だった自分の視点が、いかに狭かったのかに気づくことができたという声がとても多かったです。
ただ、現場をわかっているスタッフが作成したこともあり、結構細かくなっているため、より使いやすい形となるよう今後も見直しが必要だと考えています。
◎商品開発も手掛けていらっしゃいますが、研究分野に進まれたきっかけについて教えてください。
私は、近森病院で急性期および回復期病棟に5年間勤務し、6年目で今の職場に移ってきました。実は近森会に勤務していた頃は、それほど勉強は熱心ではなかったですね。組織的な教育体制が比較的しっかりなされていた法人でしたので、困っても先輩に相談すればなんとかなる雰囲気だったこともあるかもしれません。
しかし、現在の職場は、ちょうどリハビリテーション病院の新規立ち上げのタイミングで入職したため、それまでの教えてもらう立場から逆にこちらが教えていかないといけない立場となりました。当時私は既に年齢で言うと32歳、臨床経験は6年目に入ったところでしたが、その時初めて自分がセラピストとして若手スタッフに何も提示してあげられないということを痛感しました。恥ずかしながらその時初めて、自分で必死に勉強しないと後輩にも、患者さんにも良いサービスを提供できないのだと気づきました。
そんなとき、外部に目を向けてみると、世の中には自分がわからないことに対して疑問に思い、学術活動を通して解決しようとしている人たちがたくさんいることに改めて気づきました。
私が学術や研究に対して真剣に取り組み始めたのはそこからなので、ここ10年ちょっとのものです。逆にいうと、開設当初の環境を何とかするために外からの情報を得なくてはならなかったということが、自分を変えてくれた要因となったのだと思います。
◎研究開発部門長というお役職ですが、マネジメントという側面もあるのでしょうか。病院で「研究開発部門」を設置しているのは珍しいですね。
私は現在の職場に移ってきてからは、回復期病棟でスタッフとして、そして病棟の管理業務を中心とした立場で勤務しながら学術活動を行ってきました。そのためどうしても急性期や生活期を担当しているスタッフの臨床場面の疑問を共有したり、解決方法を考えたりという機会が少なくなりがちです。
そこで、ある程度の自由度を持って法人全体の学術や研究活動をサポートできるポジションで業務にあたる必要があると思い、現在の職務に就きました。まだまだ当初の目的である全体のサポートを実施するには乗り越えるべき壁がたくさんあります。学術活動や研究活動に組織的に取り組んでおられる他の病院のお話などを伺うと、当法人はまだまだ発展途上だなと感じています。
一方でリハビリテーション研究開発部門を置いてからは就職を希望してくれる学生さんのなかに、このようなサポート体制に魅力を感じたと言ってくれる人がちらほらと増えてきました。学びたいと思ったときにしっかりとサポートできるようにこれからも部門を発展させたいと思っています。
◎マネジメントの視点でお伺いします。マネジメント力を身につけるための具体的な教育はどのようなものがありますか。
セラピストのマネジメントを難しくしているのは、3つの職種が混じっていることが影響しているのではないかと感じています。例えば私は理学療法士なので、日本理学療法士協会あるいは都道府県理学療法士会の提供する研修等を通じてマネジメントを学んだり、施設間の理学療法士同士の交流があります。でも、そうした研修会は理学療法士という資格を通して提供されるものが多いので、そこにOTさんやSTさんも一緒に、となる機会は少ないように感じています。セラピストの管理職研修についても、ここ数年は理学療法士協会あるいは理学療法士学会が用意しているフォーマットが充実してきているのでそこを大事にしたいと思っているのですが、それが職種をまたいで利用することが難しいという部分が悩んでいるところですね。
また当院の回復期病棟にご入院されるのは中枢神経疾患と整形外科疾患の患者さんが中心となっていますが、STさんは基本的に整形外科疾患の患者さんを担当することがないため、セラピストの職種ごとに病棟全体との関わりの度合いにばらつきがあります。このあたりも看護師・ケアスタッフとの連携を含めた病棟のマネジメントを考えるうえで難しい部分なのかもしれないですね。
◎中谷様がリーダー(お役職)に初めて着任されたころ、マネジメントにおいて、壁にぶつかったこと、それをどのように克服したのかをお教えください。
最初は、病棟のリーダー的なポジションであり、それから副主任や主任を経験しました。病棟ごとの“色”が分かれていたのが、非常に苦労した部分ですね。
当院は病棟の構造が特徴的で、各フロアにリハ室があり、患者さんの入院生活はトレーニングも含めてフロアで完結しています。そのため、各階に配置されたセラピストは他階とは独立しつつ一日の業務を進めるので、病棟ごとの特徴が出やすい傾向にあると思います。最初はちょっとした違いだったことが、気がつけば色の違いが濃く出てしまうこともありました。
そうした中で、私は常に、学術の場に参加して外を見よう、と声をかけてきたつもりです。一つの病棟・一つの職場内だけで悩んでいると煮詰まってしまうことがあります。外部には、自分と同じような悩みを全く違う角度から研究している人がいます。私が学術を大事にしたいと思っているのはそこです。自分やあるいは自分の所属する組織が抱えている悩みは、他の病院、あるいはよその誰かも同じように抱えています。そして、それを解決するために行なった取り組みに関しての情報は学術の場に提供されています。
自分たちでなんとかしようとすることも大事ですが、実際にその人に連絡を取って話を聞いてみるなど、外に目を向けて進んでいくエネルギーの流れを作ることが、学術活動を通したマネジメントのとても大切な部分ではないかと感じています。
◎中谷様がリーダーとして、軸にしていること、大事にしていることがあればお教えください。また、その背景(理由)もお聞かせください。
セラピストはどこまでいっても技術職というか、技が好きですよね。若手に対して、ポジション(職位)で接すると同時に、あの人の技術はすごいと思わせることはやはり同じくらいすごく大事なのだといつも感じています。実際病棟で若手スタッフとともに患者さんを診る際に、一治療者としてそう思ってもらえると、マネジメントもよりしやすくなりますね。
自分が若手の時もそうでした。1人の専門職としてできることを要所要所で見せてあげることが大事かなと思います。
年齢を重ねてくるとそれが通用しなくなるかもしれませんが、まだ40代半ばなので、まだ負けないという気持ちで頑張っています。
まだ、現場にはしがみついていたいですね!
◎リーダーとして、これだけは身につけておいたほうがよい、経験しておいた方がよいと思うことをお教えください。そう思われたご経験もお教えください。
意識が高く、モチベーションの高い新卒が、「研究開発部門に興味があり、応募しました」と言っててくれることは嬉しいのですが、高い意欲を持って入職した新卒のスタッフほど、より早く自らの専門分野を決めてキャリアアップを図りたいという意欲が強いように感じます。
こちらとしては、せっかく急性期から生活期まで経験できる法人なので、まずはいろんなステージを経験して欲しいと思っているのですが、モチベーションの高いスタッフほど少々焦りがあるように感じることもあります。
私自身は、なんだかんだと回り道をしてきて、そのすべての経験が巡り巡って今の自分を支える土台になっていると思っています。途中で今やっていることにどんな意味があるんだろうと思っていたとしても、すべての経験は最終的に今に繋がってくるんだと、いつも伝えるようにはしています。現在目の前の興味あることについてより知識を深め、外部のネットワークを広げていくことは当然素晴らしいことですが、それと同時に視野を広げていろんな体験をすることで、同じセラピストとしてより深みのある研究もできるのではないかと思いますので、あまり焦らずに色々経験して欲しいとは思っています。
そして、当院はそうした様々な経験をできる場所があると思うので、積極的に別のステージを体験したいと思ってもらえるような体制あるいは組織風土も培っていきたいと思っています。
◎最後に、全国の若手リーダーをめざすセラピストに期待することをお教えください。
40代というのは仕事がすごく面白く、今までやってきたことが全て繋がってくる時期だなと実感しています。20、30代前半の頃は、すごく苦しくて自分が何者なのか、どこに到達するのかがむしゃらに頑張っても見えてこなくてしんどかったのですが、40代になって、あの時無駄だと思っていたことが思わぬところで繋がることがあります。人間関係もそうですし、純粋に勉強してきたこと、点と点が繋がることが面白いと感じています。
だから、今やっていることが無駄だと思っても、目の前にある仕事を一生懸命取り組んでもらったら、必ず身になるのではないかと思います。
:.。.::・’☆。.::…:★:・’゜::・’゜;・’゜★゜’::.。。.::…:*
【インタビュー後記】
中谷さん、お忙しいところインタビューに快くお引き受けくださいましてありがとうございました。
実は編集長は面識がなく、初めてリモートにてインタビューでした。しかしながら、全くそのような感じを受けず、インタビューを進めていくうちに当初質問する予定のないことまで伺い、それでも真摯にお応えくださいました。
研究にいそしんでいらっしゃるところから、「これも訊きたい」「あれも訊きたい」ということが募ってくるのですね。それだけ魅力あるご経験をされていると共に、それだけのご苦労もあったのかと思いました。
また、落語家でもあることも興味深く、なんと、桂文枝さんにお名前をつけていただいたとのこと。ご趣味の落語だけではなく、リハビリテーションネタの落語を取り入れているそうで、聴いてみたくなりますね。
中谷さん、ありがとうございました!
編集長 下田静香