絵本『ありがとう…わたしはあの世へ、光の国へ』著者の看取り士・みきまさよ(三木昌代) さんインタビュー
かつての”老人病院”が増加した時代に看護師になられ、そこからの疑問に訪問看護で在宅での「人の死のありかた」を考えることになられた「みきまさよ」(三木昌代)さん。
訪問看護でのご経験から、現在は介護施設での副施設長として、お看取りの考え方、あり方を職員の皆さんにお伝えしていらっしゃいます。
一方で、ご経験を通じて、介護を必要とされる方々に携わる皆さんにことばを届けたいということから絵本『ありがとう…わたしはあの世へ、光の国へ』(文芸社)をご出版されました。
絵本を通じて、誰に何をお伝えしたいのかなどを伺いました。
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◎「みきまさよ」(三木昌代)さんの所属の法人はこちら
社会福祉法人万亀会
◎「みきまさよ」(三木昌代)さんのプロフィール
<現職>
社会福祉法人万亀会 副施設長
<ご本人からの自己紹介>
現在、兵庫県加古川市にある社会福祉法人万亀会の副施設長をしております。
元々は訪問看護を長年しておりましたが、平成26年に社会福祉法人万亀会が運営する地域密着型特別養護老人ホーム 千鶴園の開設のために、責任者として声がかかり、高齢者を生活の場で自然な形でお看取りする、一人でも多くの高齢者が、幸せにこの世を卒業できるような施設を作るいう目標をご理解いただき、入職しました。
入職当時は、看護師として現場に入り、現在は管理職として、現場の応援をしております。
目指すは 「3方よし(ご入居者よし、ご家族よし、職員よし)」です。
◎所属の法人のご紹介(地域での役割、機能、特長など)をお願いします。
長い歴史のある法人です。離職率が低く、職員が働きやすい職場です。今は新型コロナ感染の影響で中断していますが、地域交流も盛んで、地域の方の集い場となっていました。幼稚園、小学校も近く、行事などの時は、お互いに行き来をしておりました。
<社会福祉法人万亀会の沿革>
昭和54年 社会福祉法人 万亀会 特別養護老人ホーム万亀園 開設
平成12年(2000年)居宅介護支援事業所、ホームヘルプ事業、デイサービスができ、
平成21年 従来型の特養から、ユニット型特養に変更 入居70床、ショート2床
地域包括支援事業所 のぐち 開設
平成26年 地域密着型特別養護老人ホーム 千鶴園 開設 入居29床、ショート10床
平成28年 リハビリデイサービスちづる 開設 (リハビリ特化型 デイサービス 半日コース)
◎この度、絵本『ありがとう・・・わたしはあの世へ、光の国へ』を出版されたと伺いました。
どのような絵本かお教えください。また、絵本を書かれた背景もお聞かせください。
この絵本の内容は、ある一人の女性が生まれてから亡くなるまでを一冊にしています。一番伝えたかったのは、この世に生まれて人の手と愛情をかけてもらって成長をする過程、その逆に、老化と死までの過程、下り坂の過程にも必ず手と愛が必要だということです。
人の手と愛情というのは、昔は家族でした。家庭の中で老い、死んでいきました。それが、昭和51年頃を境に、在宅死と病院死の数が逆転しました。昭和51年以降は、病院で亡くなる方が圧倒的に増えました。ピークは8割以上の方が病院で亡くなっていました。現在、国の政策である地域包括ケアシステムにより、病院完結型の人生から、地域完結型の人生を送れる人を増やそうとしているわけです。
しかし、実際に私は、訪問看護で在宅に携わっていた時に、自然な老衰の方が家で亡くなることがなかなか難しいという体験をしました。
そして、今の日本で老いと死を支えているのは介護の仕事です。介護職のみなさんがいるからこそ、老いて死んでいけるわけです。多くの人が何らかの介護を受けて亡くなっていっているのです。
話をする機会があるとき、ご参加の方々に聞くんです。
「あなたはどうやって亡くなりたいですか」と。
すると、会場のほとんどの人が「ぽっくり死にたい」と言われます。ところが、ぽっくり亡くなることができる人は1割に満たないんです。円満にぽっくり死ねるのは本当に少ないんです。
ということは、9割の人は老いて、そこには人の手があって、愛情があって、そうやって亡くなっていく。人が生まれてから成長していく過程の逆が必ずあるということを学んでいないんですね。そして、考えたくない。
だけど、これから老いていく人たちにとっては、そこを覚悟して受け入れて自分のこととして考えていかなくてはいけない時代なんです。
私はどうやって、どこで老いていきたいのか、どうやって死にたいのか、家族とよく話をして、自分の意思を残して欲しいと思っています。それが必要な時代になってきているわけです。
https://www.mhlw.go.jp/stf/newpage_02783.html(人生会議ACP:厚労省)
https://songenshi-kyokai.or.jp (公益社団法人 日本尊厳死協会)
私は、日本尊厳死協会に入って、いつ何があっても良いように、事前指示書(リビングウィル)を残しています。
◎ 昭和51年頃を境にというお話がありましたが、何か背景があるのでしょうか。
まず、昭和36年から国民皆保険が始まり、医療を受けやすくなりました。そして、老人保健法、老人福祉法が改正となり、お年寄りの窓口支払いがゼロという時代がありました。無料で医療が受けられるようになったのです。それに乗っかって、“老人病院”が山ほどできました。お年寄りが病院へ行くことに抵抗がなくなって、病院の外来がサロン化しました。
面白い話があるのですが、外来の待合で毎日会う人がいるんですね。「今日あの人来ていないみたいだけど、どっか悪いんじゃないの?」というふうにサロン化して、たくさんの人が病院に訪れるようになりました。ちょっと調子が悪い、熱が出たというと、入院して治療が受けられるようになりました。
たくさんの人が入院しました。お年寄りは病気になることが多くなります。しかし、病気がなかなか完全に治らない、入院が長引く、そのまま弱っていく・・・。そして亡くなっていく。病院で亡くなることも普通になってしまいました。
そのような中で、病院死が増えてきたわけです。老化による症状に病名をつけて、そして家に帰れないお年寄りが増えました。
私はちょうど、昭和58年から看護学生になって昭和61年に卒業しているのですが、病院で死んでいくことが当たり前だと思っていました。
病院で見ていた死も老いも、幸せでなかったんです。とても辛かったですし、怖かったです。私は、初めて人の死を見たのが学生の時の受け持ち患者さんだったので、怖くて辛くてしょうがなかったですね。その当時は、看護の仕事を続ける自信がありませんでした。
◎ この絵本を通じて、どんな方にどのようなことを知っていただきたいですか。
まずは、老いていくすべての人に知ってほしい。その覚悟と準備をしてほしいという思いから書きました。
そして、介護職員を中心に、医療従事者の方、セラピストの方には、みんながチームになって人生の下り坂を支えていく役割があるということ、その延長線上にお看取りがあるということを知って欲しいと思っています。
「看取りの現場は、愛と感謝にあふれて、幸せで尊い現場です」
◎ 子どもたちにも知っていただきたいことが多いように思いますが、いかがでしょうか。
今の日本に圧倒的に足りないが、「老いと死の教育」なんです。
子ども達はどこから死を学ぶのかなと思って、孫が好きだという『鬼滅の刃』全23巻を読みました。とても感動したのですが、あの中で描かれている死は悲惨で悲しくて辛いんです。でも、そこで死を捉えてほしくないと思いました。一生懸命生き切ったらハッピーな死が待っているということを何かしらの形で伝えたいです。
子どもたちに向けて、違う形でできたらいいですね。どうしても、老いと死の教育がないので、いまだに「忌み嫌うもの」になっています。死は忌み嫌って遠ざけるものではなくて、身近なものであり、必ずいくところ、そこを見据えましょうという教育があってもよいと思います。
昔、何世代も同居していた時、自宅でお年寄りが、老い、亡くなる姿を、子、孫に見せるのが、お年寄りの最期の大きな仕事だったのだとも言われています。
◎絵本のご出版もお看取りから伝えたいことを綴ったとのことですが、三木副施設長にとってお看取りとはどのようなことなのでしょうか。
ごくごく自然なことなんです。そこに寄り添わせていただいた私たちは、感謝の気持ちと愛情をいただいて胸がいっぱいになるんですよ。そういった経験をたくさんさせていただきました。
私は学生の時に、死が怖くて仕方なかったのですが、経験の中で亡くなりゆく人から、自然なことだと学び、人が生まれるのと同じく、死ぬことも自然なことだと思えることができました。その自然な過程というのは、すごくやはり専門的な知識で支えていくことが大事だなと感じています。
うろたえない。そして、そこをしっかりみんなで受け止める。力、チームワークです。そこに、ご家族も加わっていただいて幸せなお看取りを作っていく、組み立てていく。
私たちの合言葉として、「今日1日を、はなまるに。」というものがあります。
利用者の方々は超高齢者です。今日亡くなってしまってもおかしくないんですね。だから、今日1日を毎日大切にしようねというのが合言葉なんです。
そんな中で、みんなで共有したいと思っているのが、死は、この世の卒業だということです。小学校を卒業するときも、中学校を卒業するときも、先生に言われた言葉はおめでとうですよね。でも、別れるからさみしいんです。卒業式はみんな泣きますが、次行くステージが明るいステージだと。高校、社会人になるときに、「かわいそうに。あんな社会人になるなんて。」とは言いませんよね。それと同じで、この世を生き切って次のステージに行くんだという明るい死生観を持ちましょうと伝えています。
「この世で90年、100年生きて、晩年は自分の体が思うように動かなくて大変だったでしょ。でも、一生懸命生きてくださって」と。
◎多くのお看取りをご経験されて、三木福施設長を成長させてくれたことなどエピソードをお教えください。
あり過ぎて、一つを選ぶというのも難しいのですね。
信じがたい話かもしれませんが、自然な老衰の経過を過ごし、過剰な医療を受けなければ、自分の思うように、自分の好きなタイミングで亡くなっていくという経験をたくさんしています。
例えば、在宅での話ですが、脳梗塞で全く意識がない方、今では珍しい大家族で、家族みんなでお看取りをしましょうということになり、自宅へ戻られた方がいました。
8畳間を二つ繋げた部屋で、週末はおばあちゃんの横に布団をひいて、ひ孫たちのお泊まり会が行われるような暖かい家族だったんです。でも、本当にいつ亡くなってもおかしくない状態だったんです。
ただ、大家族となると、それぞれにイベントがたくさんあります。
そして、家族みんなが言うわけです。
「ばあちゃん、今日は死んだらあかんで。運動会があるから。」
「ばあちゃん、今日は死んだらあかんで。今週末は婦人会の旅行だ。」
「ばあちゃん、今週は稲刈りがあるんだ。」と。
いろんなイベントが次々とあり、そしてすべてのイベントがひと段落しました。
「ばあちゃん、ありがとな。今まで生きてくれて助かったわ。みんなの用事終わったから、いつ死んでも良いよ。」と家族が言ったのです。そしたら、次の日の朝にお亡くなりました。こんな不思議な経験だらけなんです。
そういうことがあると、暖かい気持ちになるんです。
旅立ったご本人にも心からありがとうと、今まで頑張ってくださったと、最高の最期をみんなで迎えられたと。そうすると、死は寂しくて忌み嫌うものではなく、あったかくて優しくて感謝で包まれるなんとも言えない空間になるんです。
また、こんなこともありました。
亡くなるときというのは、下顎呼吸になるんですね。下顎呼吸になって2、3回でお亡くなりになる方もいらっしゃいます。ただ、いつお亡くなるかはわかりません。かつて、お看取りの場を当施設でという方がいて、ある日、下顎呼吸が出て、「今日かもしれない」という状態になり、みんなで見守っていたんです。
ご入居のユニットだけではなく、他のユニットの職員も一緒に関わりました。でも、呼吸がずっと続いていて、今かもしれないという状態が続いていました。その瞬間を待っているわけではないのですが、「見守っているその時間はすごく大事」ということでで、仕事を終わったスタッフたちが見守っているご家族に「一緒にお茶会をしましょう」と持ちかけました。娘さんも他ご家族8人くらいで囲んでお茶会を始めました。
娘さんがお菓子を出してくれて、それを食べながらコーヒー飲みながら、その方の昔話を聞かせていただきました。その昔話に本当にみんなで大笑いしながら。その隣にいるのは、もうすぐ逝く方です。
そうして、20時半ぐらいになってもまだ呼吸が続いていたので、一度、解散することにし、娘さんも一度帰られました。その1時間後に呼吸が止まったんです。
その後、娘さんは最後のお茶会が忘れられないとお手紙をくださいました。私たちも心に残るお看取りだったなと。その方はきっと、楽しくて満足して、逝くときは一人で行くわ、という感じだったのだと思います。
◎介護施設でも機能訓練という役割で、セラピストの皆さんが活躍されています。
副施設長のお立場から、どのような役割を期待していますか。また、具体的な活躍場面をお教えください。
現場の「かゆいところに手が届く」という存在です。
レクレーションなどを積極的にして下さり、ご利用者を笑顔にして下さっています。ご利用者同士の繋がりが出来るようにとの配慮もあります。日常生活動作については、あらゆる介護現場に関わり、ご本人の力が十分発揮できるように、アドバイスしながら、現場の介護スタッフの身体の心配もしてくれます。
睡眠障害のある方は、紫外線にちょっとあたっていただきたいんですよね。ただ、現場の介護士さんが外に連れて行くのはやはり、人的に手が足りない。そういう時、積極的に紫外線にあたりに行きましょうなど、すっと動いてくださるのがセラピストの方です。
また、専門的なことでいえば、歩行器やその人にあった車椅子の調整に関するアドバイスをしてくれ、業者さんとのやりとりをしてくれます。「この方、こんな風に困っている」と現場から言われると、「こうしてみよう、ああしてみよう。」と、セラピストとしての引き出しからアイデアをくださいます。
そのほか、マッサージ的な関わりですね。
体を自分で自由に動かせない方というのは、筋膜の痛みなどもあったりして、ちょっと触れて触ってもらうことで癒されます。そこを専門的にやってくださいます。一生懸命、関節を触ってくれたり可動域の訓練をしてくれたり、マッサージをしてくれています。
きめ細やかな気づきと関わりを、今後も期待しています。
◎ 今回、絵本をご出版されて、次にやりたいことは何ですか。
生活の場でお看取りされる人を増やしたいですね。そういう生活の場を増やしたい。昨年、年間138万人亡くなっています。一昨年より減りましたが、その中で、約100万人以上がまだ病院で亡くなっています。生活の場で亡くなる人が全体の2割くらいです。
今後、ピークで年間160~170万人まで死者が増えると言われていますが、在宅、特養、老健などいろんな生活の場で、自然な形で過剰な医療を受けずに亡くなる人をその半数、昭和51年以前に戻したいという思いです。生活の場でお見取りをする国になってほしいと思っています。
◎ 大変バイタリティーのある三木副施設長で、いつも何でも楽しまれているように見えます。ご自身を元気にしたいとき、どんなことをされていますか。
食べること、旅行することですね。花も好きですし、ヨガもしています。何をやっても楽しいですね。
37歳の時に主人が大病をして、死にかけました。今は生きていますが、心筋梗塞後、心室内に血栓ができてしまいました。開胸手術して血栓を取ったのですが、そのとき先生から、その日に生きられるか、亡くなるか半々だと言われましたし。血栓が見つかったときも、これが飛んだら即死だと言われた時に、本当に死を身近なものとして意識しました。そう考えると、今、生きているだけでオッケーですよね。
不思議なことに、あれだけいびきがうるさくて腹が立っていたのに、その後は、いびきが聞こえるのは子守唄です。生きていると思うからです。その経験も、すごく影響しているのかもしれないですね。何事も嬉しいし、楽しいし、感謝の気持ちがそうさせているのかもしれないと思っています。
これまで、病院での死、在宅での死、そして施設での死をたくさん経験させて頂いたので、これから関わるご利用者とご家族には、生活の場で最高の、理想の亡くなり方が出来るようにお手伝いしたいと思っています。
◎ 最後に、全国の介護施設で働くセラピストの皆さんに応援メッセージを
生活の場では、セラピストの皆さんの専門的な知識を必要としています。
その専門的な知識で、ご利用者が楽しく生活できるように、アドバイスや介入をお願いしたいと思います。
職域の壁を越えて、高齢者の生活を支える仕事を一緒に楽しみましょう。
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【インタビュー後記】
ご入居さんやご家族にはもちろんのこと、所属されている施設のスタッフにも明るくお声おかけして、周りの方たちを元気にさせてくださる「みきまさよ」(三木昌代)さん。
インタビューでお話を伺っているうちに「老いる」や「死」が人生の一部であることを私自身も深く考える機会となりました。
「生きる」「行き切る」は自分で考えておくことが「人生のしまい方」なのですね。
また、お看とりを通じて、スタッフへの「死」の捉え方を伝え、介護施設のスタッフとしての誇りも伝えていらっしゃると思いました。
絵本を通じて、お看取りを学ぶこともできると思いました。
是非、一度、絵本をお手に取ってみてください!
みきまさよ(三木昌代)さんの施設では、お花がたくさん飾られています。ご入居者さんに見ていただきたいという思いが伝わってきます。素敵ですね💐
みきまさよ(三木昌代)さん、お忙しいところインタビューをお受けいただきありがとうございました!
編集長 下田静香