はくほう会セントラル病院 川端 重樹さん
兵庫県尼崎市にある医療法人伯鳳会はくほう会セントラル病院リハビリテーション部兼経営情報課課長の川端重樹さんにインタビューしました。
先駆的な医療経営を実践されている伯鳳会で、現在は経営に携わる経営情報課課長としてご活躍です。
経営視点をもつセラピストの川端さんに伺いました。
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◎川端さんの所属の病院はこちら
医療法人伯鳳会はくほう会セントラル病院
◎川端さんのプロフィール
【経歴】
2003年 医療法人朗源会 おおくまリハビリテーション病院
リハビリテーション課入職
2005年 株式会社へ入職
2006年 株式会社 主任
2009年 医療法人朗源会 おおくまセントラル病院
リハビリテーション部入職
2011年 リハビリテーション部 主任
2015年 医療法人伯鳳会 はくほう会セントラル病院
リハビリテーション部入職(経営移管)
2015年 リハビリテーション部 係長
2017年 リハビリテーション部 課長
2020年~ リハビリテーション部 兼 経営情報課 課長
◎現在の所属、役割やお立場をお教えいただけますか。これまでのご経歴もお願いいたします。
医療法人伯鳳会はくほう会セントラル病院経営情報課兼リハビリテーション部課長として勤務しています。現在の役割は、病院全体の経営として財務、人事、設備、衛生管理などを行い、事務長補佐として従事しています。兼務でリハビリテーション部の運営を担っています。リハビリテーション部の日々の管理運営は、係長に権限移譲を行って、統括的な管理を役割として担っています。
私の経歴ですが、2003年に理学療法士として当院の前身である病院に入職しました。それから3年目になる頃に、病院で実践してきたリハビリが退院後の患者さんの生活に実際役立っているのかと疑問に感じ、訪問リハビリを実施している株式会社に転職しました。
株式会社では介護保険領域の事業を行っていて、そこでは理学療法士として訪問リハビリや通所でのリハビリだけでなく、管理者として、他の事業にも関わらせていただきました。
そのような経験を、再度病院で活かすため、そして病院内で波及させるためにお声をかけていただき、再度元の病院へと再就職するに至りました。
病院ではリハビリテーション部の主任として、フロアマネジメント及びリハ部人材教育を中心に活動をしてきました。
2015年に病院が突然経営移管されることになり、その際にリハビリテーション部係長として、部の長を務めるように、移管先の法人より辞令がありました。そして、現在に至っております。
◎所属の病院、法人のご紹介(地域での役割、機能、特長など何でもPRしてください)をお願いいたします。
伯鳳会グループは、3つの医療法人、3つの社会福祉法人、1つの有限会社のグループです。兵庫県、大阪府、東京都、埼玉県で主に医療介護福祉サービスを展開しています。各地で病院や介護老人保健施設、特別養護老人ホーム、在宅系介護サービス、看護学校、理学・作業療法士養成校など多岐にわたる事業を運営しています。
その中で、医療法人伯鳳会はくほう会セントラル病院は、兵庫県尼崎市の2次救急医療、外来医療、訪問リハビリ、通所リハビリを運営し、地域医療に貢献するように努めています。また、入院医療では急性期医療、リハビリテーション医療を担っています。病床は254床で、急性期66床、地域包括ケア病床48床、回復期リハビリ病床140床を有し、手術も積極的に実施しています。
救急から急性期医療、回復期リハ医療、外来や訪問リハなどの地域医療までシームレスかつ包括的に地域住民に対して医療を提供できる体制を整えるように努めています。
◎リハビリテーション部のご紹介をお願いいたします。
当院のリハビリテーション部はスタッフ120名で、「その人らしい生活を営むことができる」ことを理念に、あらゆる手段を用いて患者様を支援しています。
時代とともに変化するリハビリに対して、それを提供する人も一緒に変化することが重要であると位置づけ、ロボットや電気治療などの機器をいち早く導入し、研鑽を積み重ねてきました。
いくら時代が変化しても、どのような先進機器が世の中に出てきても、それを扱うのは「人」であり、「人」の成長を常に促進することは必須であると考えます。一人前のセラピストになるために、リーダーはマネジメント実践者となるために、そして臨床実習指導者にはよき教育者となるために、人材教育に力を注いでいます。
知識も技術も心も優れた人材が豊富であれば、時代の変化に対応したリハビリテーションに適応でき、時代が変化しても変わらないマインドを持ち合わせ、患者様にとってよりよい医療を提供できることに繋がると考えています。
◎理学療法士になられた動機、きっかけをお教えください。
私が理学療法士になったきっかけは、学生時代にスポーツで怪我に悩み、リハビリや日々のケアを自身が経験したことがきっかけです。現役を引退した後も、後輩チームに同行して学生チームトレーナーとして帯同し、人をケアすることに対して面白く感じました。
しかし、人を診るということは、やはり無責任なことは言えないし、それが元で怪我をさせたり悪化させたりする可能性があるということも考えるようになりました。それであれば、そのような専門職に就き、しっかりと学び、経験を積みたいと考え、そのような職業を探した結果、理学療法士を知ることになりました。当時は今ほど理学療法士という職業が知られていませんでしたし、養成校も今のように豊富ではありませんでした。大学への進学を辞め、1年の勉強期間を得て、養成校に入学しました。
◎リーダー(役職)になりたてのとき、壁にぶつかったこと、それをどのように克服したのかをお教えください。
2015年にリハ部の長となった時に、最も悩んだことがあります。それは、経営を成立させることと、現場のスタッフが活躍し、患者様によりよい医療を提供することのバランスをどのように取ればよいのか全く分からず悩みました。経営と現場は別物であると考えていたのだと思います。
当法人は、様々な経営的手法を取り入れていて、常に業績を厳しく管理しています。私のそれまでの経験は、人材教育や現場業務の運営が中心でしたので、「業績」とはお金儲けであり、病院はお金が大事だと言ってくると思っていました。自分たちは、「よい医療を提供するための専門職であり、病院経営の道具ではない!」なんてことも考える時期もありました。
そんなある日、理事長から学んだことがありました。その日を境に、考えが変化しました。
「経営は目の前の状態を、いかに安定させるかが重要であり、これを怠ると明日にでも潰れることになる。それは、目の前にいる職員とその家族、そして我々の医療を必要とする多くの患者に対する責任放棄である。同時に、その安定の上に立って、発展を模索しなければならない。このことを疎かにすることは10年後には社会にとって不必要な存在となり潰れることになるだろう。これら2つ「安定」と「発展」の上に立って理念を掲げ、循環させることこそが最も重要である。」
理事長からの教えは、今でも私の管理運営の基礎となっています。経営も現場も別ではないと明確に明示してくれた瞬間でした。こうして、「安定」と「発展」のバランスに意識を向けて向き合うことで、今も取り組んでいます。
◎リハビリテーション部でのご活動と経営情報課の課長としてもご活動されていますが、臨床と管理の両立のコツをお教えください。
現在、私が臨床管理を直接行うことはありませんが、常に実践していることは、15名以内の側近を持つことです。側近といえば、何か御用聞きのように思われる方もいるかもしれませんが、それとは大きく意味合いが異なります。そもそも側近に選出する場合の判断基準は、「No」を言えるかどうかです。Yesしか言えない人は側近にはしません。ちゃんとNoが言える人は、自分の頭で考えることができる人ですから。
次にNoの中に、建設的な意見具申が入っているかが重要です。ただ反対したいだけのNoもありますから、そのNoでは意味はありません。
側近たちの能力を引き上げることで、多くの情報をもたらし、行動してくれます。
その中で、側近たちの表情や行動は現場の状態を移す鏡のように反応してくれます。元気のないリーダーがいる部門は当然元気を出そうとはしません。ケアレスミスの多いリーダーの部門はケアレスミスを事前に気づくことはありません。常に日常の声掛けを怠らないリーダーがいる部門は、患者様やスタッフ同士の細かな気配りなどが行えています。
したがって、私は側近たちの何気ない言葉や話し方、表情、しぐさ、行動を逃さないように観察し意識しています。会議中は会議内容よりむしろそちらの方が重要なくらいです。(これがリモートでは不便ですが)
やってはいけないこともあります。側近を不用意に飛び越えて現場に関わらないことです。側近たちが部下に他職種に尊敬され、信頼されることが何より重要だからです。「責任は負うが、手柄は渡す」を徹底することが大切だと思っています。
経営管理では数字を多く扱います。経営で言えば財務諸表や病床稼働率など、リハでいえば人件費率や、単位数などです。この数字から事実を確認・分析するための定量評価と、そこから見える質の部分の定性評価を必ずセットで実践しています。定量評価の段階で、良し悪しを考えると、問題や数字が意味する重要な事が見えにくくなります。数字は起こっている現象をありのままに分析することが重要だと考えます。これを行った上で、何が課題か、それはどうして生じたのかなどを考えて改善や発展に活かしています。
◎リハビリテーション部を離れる際のエピソードやご自身の気持ちなどあればお教えください。
元々、この話は大分前からいただいていたので、リハ部を離れること自体も計画には入れていたつもりです。
現在、私は課長職ですが、私がリハ部を出なければ次のリハビリテーション部の課長職が生まれないと思うので、そういう意味では、その立場にならなければ権限や責任を持ってやる感覚というのはリアルには体験できないですよね。そのため、次にそれを渡すという意味でもチャンスがあれば出ようとは考えていました。
ただ、葛藤はありました。私自身はチャレンジとして捉えているので良いのですが、それを誰に託すのか、今までやってきた意思をどう伝えたら良いのかという部分は今でも苦労しています。
やはり、側近が耳にタコができるくらい説明して言い続けなければいけないということは常日頃思っていて、また同じことを言っていると思われるくらいでちょうど良いと考えています。今のリーダー達は4、5年経った頃なので、やっと自立して動いてくれるかなという気はしています。
◎リーダーとして、これだけは身に着けておいたほうがよい、経験しておいた方がよいと思うこと、その上でリーダーとして軸にしていることをお教えください。
何か1つでも「自分にとってチームにとって組織にとって難しいし、面倒くさいけど、もし達成できたら凄くよいこと」を自ら掲げて、必ず成果を出すことを条件にして行動したことがあるかという経験だと思います。それは、リーダーは目標を指し示す人だと思うからです。「こうしよう!ああしよう!こうなるよ!ああなるよ!こうしたらよくなると思う!」なんて言う人だと思うので。
もし逆のことを言う人がリーダーにいたら、そのチームは不運ですね。「価値あることはやってみる!」という思いと同時に、成果に責任を持つという緊張感の経験が、どんなことがあっても力になると思いますし、私も常に思っています。
もう一つは、自身の状態を常に最高の状態に(特にメンタル)保つことに努力しているかが大切ではないかと思います。不機嫌なリーダーがいたら、その影響はよくないことは明らかですから。つまり、セルフマネジメントを疎かにするようなリーダーにチームやフロア、組織マネジメントはできないと思うのです。
ですので、私は元気を創る努力、機嫌をよくする努力、仕事を楽しむ努力、やりがいを生みだす努力、ネガティブ感情を活かす努力を惜しまないように心がけています。
◎ご経歴から、3年ほど前に経営学部で学ばれたと伺っております。大学に入学しようと思われたきっかけと、経営視点での大学で得たこと(修得したこと)をお教えください。
セラピストの技術に優れた人が管理者になると思っていましたが、実際に長になってみるとマネジメントはそれとは別物であって、知識もスキルも理学療法と同様に学ばないとダメだと思ったのが大学に入学したきっかけでした。大学では、会計管理・財務管理・経営学・心理学など、学びとしては新鮮な事ばかりでしたが、最も学びになったのは、多くの経営者の方々も同じように悩んでおられたり、ずっと年上の方でも人生を考えておられたりしていて、その方々とケースを通して議論する中での、思考力でした。得た知識や情報をどう活かすかを考え抜く大切さを学びました。
◎最後に、自分を元気にしたいとき、どんなことをされていますか。
ネガティブは、土曜日の午前中に集める習慣を大切にしています。どんなネガティブ感情が起こっても、その時間に郵送するイメージです。そう決めてしまうことで、随分冷静に対応できますし、仕事の効率も下がりませんので、今や欠かせない習慣になっています。
あとは…読書は好きです。食べるのは1日1食です笑(心理学的効果も狙っています)。車が好きです。
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【インタビュー後記】
「元気を創る努力、機嫌をよくする努力、仕事を楽しむ努力、やりがいを生みだす努力、ネガティブ感情を活かす努力を惜しまない」。
終始笑顔でインタビューに応じてくださった川端さんから、リーダーとしての力強さが伝わる印象的な言葉でした。
はくほう会セントラル病院における経営の考え方をご自身の努力を重ねながら、成果を確実に出すという使命感は若手リーダーのモデルになるのではと思ったインタビューでした。
川端さん、ありがとうございました!